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カウンセラーのカリスマを目指して


by n3tiwvpfqw

恐るべき甲斐の国 江戸時代にはフルーツ王国(産経新聞)

 雪解けの南アルプスを望む山梨県笛吹市石和町のビニールハウス内で、色づいたデラウエアが出荷期を迎えた。甲府盆地界隈(かいわい)でブドウのハウス栽培が始まったのは昭和30年代半ば。米国のハウス栽培を真似て始めたようだ。「始めはハウスの骨組みは竹材。周りを油紙で覆った程度のものだった」(全農関係者)。だが夏冬の寒暖の差が激しく、冬場に日照時間が長いという気象特性がハウス栽培に適しているのだという。

 歴史をひもとくと、笛吹市や隣接の甲州市でブドウの露地栽培が始まったのは江戸時代早期。山梨県立博物館発刊「甲州食べもの紀行」によると、江戸時代の百科図説「和漢三才図会」の「甲斐(山梨)の国土産」の項に特産品として紬や紙のほか、クリ、クルミ、ブドウ、カキなどが列挙され、すでに“果樹王国”としてこの時代には認知されていたというのだ。

 特にブドウは、元禄10(1697)年の「本朝食鑑」(ほんちょうしょくかがみ)では国内産地第1位に甲州をあげている。

 儒学者の荻生徂徠(おぎゅうそらい)が宝永3(1706)年に甲州勝沼を旅したときのこと。日がかたむき腹が減り、店の主人にめしの支度を頼んだまではよかったが、家来を呼べども集まる気配がなく「皆葡萄架下に在りて買銭す」と「峡中紀行」の中で記している。

 ブドウ栽培の歴史もさることながら、すでにこの時代に観光農園らしきものが存在していたらしいことを気配で感じ取れる。

 あれから300年以上の時がたった。夏を待たず出荷するブドウは市場で高値を呼び、ハウス栽培が当たり前になった。無論、油紙で覆ったハウスなど、いまはない。JAふえふき第1共選所に近い石和町内の米山正富さん(73)方の暖房完備のハウスでは昨年12月から室温を30度以上に上げ育ててきた。

 米山さんは収穫作業の手を休めることなく「2月、3月に雨が多くて(日照不足から)粒にさびが入るのではと心配したが、いいデラができた」と話し満足そうだ。(※さびとはブドウの粒の表面にできる肌荒れをいう)

 5月の大型連休明けまでは無休で出荷作業が続くという。

 全農では品質保持に糖度を「18度以上」と規定し、出荷前に検査を行う。天候不順の今季だが、米山さんが育てたデラウエアは21・9度と甘さは申し分がない。

 全農山梨県本部果実園芸部の松林修部長の話だと、笛吹市と周辺のハウス栽培農家50軒が6月初旬までに、デラウエア230 トン、キングデラ65トンを首都圏などに出荷する。値段はデラウエアがキロ当たり「秀L」サイズが7500円。ひと房110〜150グラムが千円前後する。

 付近ではデラウエアを追いかけるように、ハウス巨峰、ハウスモモの出荷も始まっている。ブドウ、モモは今が旬。

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by n3tiwvpfqw | 2010-04-30 13:20